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卒業生インタビュー


 
 
平成28年7月26日(火)
天恵製菓株式会社へ平成28年3月食物栄養専攻卒業の山口朱莉さんをお訪ねしました。

天恵製菓株式会社は、本年度、創業93年、会社設立51周年の老舗です。飯田下伊那の「茶菓子文化」を源流とする伊那谷の地場産業、半生菓子製造業のトップにあり、現在では国内外に販売チャネルを築き、年間売り上げ50億円を上回る全国の半生菓子業界リーディングカンパニーとしてゆるぎない企業になっています。
300種類を超える品揃えの中で「ベビーどら焼き」と「マシュマロ」が人気商品ということですが、みなさんご存知でしたでしょうか。
今年度着工する第5工場建設は、このベビーどら焼きのラインを増設されるということです。製造から出荷まで一貫生産を行い、しかも受注製造で安定した無駄のない経営を感じることができます。
社是は「愛」。家族・仲間・仕事・地域を慈しむ社員をめざし、安心・安全はもとより、健康・おいしさ・楽しさを届けるために、社員ひとりひとりが取り組んでいます。社員の殆どが正社員であることも、製品に対する責任ある姿勢を感じます。
本学では、平成24年ごろから毎年卒業生の採用をしていただいています。180余名(うち女子約110名)の社員のうち10名が本学食物栄養専攻卒業生となります。
入社後4か月、まだ毎日が夢中の山口朱莉さんと人事採用ご担当の代田総務部長様とお話しし、そして片桐代表取締役様にもご挨拶して参りました。
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インタビュー
tenkeiseika2(山口朱莉さん)
「食物栄養専攻で栄養士の資格を取得した山口さんですが、お菓子の製造を職業に選択した理由からお聞きしたいと思います。」(塩)
「はい、私が高等学校3年生の時、地元企業の見学会に参加しました。いくつかの職場を見て回ったのですが、そのひとつに天恵製菓株式会社がありました。その時の印象が心に残り、ここで働くことができたらいいなぁと思いました。その時には、短期大学への進学を選択しましたが、短期大学で就職希望者を対象にした天恵製菓の見学会の案内があり、もう一度来て、ここに来たかったことを再確認することができました。もう、迷わずに採用試験を受けました。採用していただき、うれしかったです。」(山口)
「社屋に一歩入ると、このあま~い香りが漂っています。これがたまらないと、私も感じます。まずは、この空気が好きでないとダメなのでしょうね。」(塩)
「はい」(山口)
「まだ、仕事を初めて4か月ですが、今の仕事で一番大事なことは何でしょうか」(塩)
「はい、そうですねぇ。お菓子が好きということとクレーム(異物混入)を出さない事です。」(山口)
「お菓子を食べることが好きだということは、最低条件です。お菓子を食べることも重要な仕事ですから。」(代田)
「エッ!従業員が製造したお菓子を食べていいのですか?」(塩)
「ええ、朝一番のラインでできた菓子は、食べて確認します。酒屋さんが酒の出来具合を利き酒で確かめるように、お菓子も、原材料がきちんと配合され、安定してマーケットへ供給できるか、舌で確認してから出荷にゴーサインが出ます。試食して確認することは製造の責任ある仕事です。」(代田)
tenkeiseika3(総務部長 代田順久 様)
「たしかに、そうですね。」(塩)
「マシュマロラインでは一ライン1時間に1万個の製品が流れてきます。4ラインありますから全体で4万個です。それが、一日平均14~15時間稼働します。朝の5時に仕込みが開始されて、最初に出来上がる製品は今日一日の生産状態を決定します。」(代田)
「すごい数ですね。きちんと材料が入り、具合よくできていないと、大変なことになってしまいますね。では、山口さんは今、どのような仕事をしていますか?」(塩)
「はい、私は、マシュマロのラインでオペレーターと検品の仕事をしています。先輩のやり方を見て、一生懸命にやっています。一日はあっという間です。7時45分に仕事に就き10時に5分間の休憩があって、牛乳が全員に支給されます。10時5分から12時まで作業をして40分間の昼休みをとり、12時40分から作業に入り、3時15分に休憩をとり、5時に終わります。」(山口)
「山口さんは入社以来一日も休まず、仕事も丁寧で素早い、知識も力量も現場の評価が高いですね。いい人に来てもらえました。」(代田)
「(ニコッ!)はじめて、聞きました。ありがとうございます。」(山口)
「よかったですね。学生時代からみれば、ずいぶんと違う生活だと思います。短大は90分の講義、全部集中することは大変ですし、時間もきっちりしているわけではないですが、慣れるまで、大変だったのではないですか?」(塩)
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「いえ、そのことで大変だと感じたことはありません。服装を整えてから7時45分にタイムカードを押します。作業をしていると時間もあっという間に過ぎますし、順調に流れるように周囲の方と協力しながら進めることも、とにかく楽しいです。」(山口)
「一人一日7から8万個のチェックをしてもらう仕事です。大変だと思います。疲れるでしょう。山口さんは、学生時代のアルバイト体験で、きっちり社会人体験をして、時間を守ることや、責任を持つことを身につけていると思います。」(代田)
「ありがとうございます。学生時代のアルバイトはいろいろなものがありますので、学生課としては気になることが多いのですが、いずれにしても、充実した生活を送ることが大事ですね。では、食物栄養専攻に学んだことは、今の仕事に活かせると感じますか?」(塩)
「そうですね。食品衛生やHACCP(ハサップ)の話をお聞きした時など、学んだことでしたのでわかりやすかったので、よかったと思います。」(山口)
「特に食品の製造にはかかせない知識でしょうね。では最後になりますが、まだ4か月働いた山口さんが感じる、この会社に勤めてよかったなぁ。地元に学んで地元に就職してよかったなぁ。と思うことを、仕事以外の時間の過ごし方を含めて、教えてください。」(塩)
「はい、休みは、楽しく遊んでいます。地元に友達や親がいて、何でも話ができる事、仕事の話も、いつでも、どこでも、みんなで聞いてくれる、という事がいいですね。」(山口)
「ありがとうございます。では代田様に御社の社員の働く環境について伺いたいと思います。」(塩)
「 当社の従業員は殆どが地元出身者です。平均年齢(女子)31歳です。産休、育休を取得した人が昨年から今年にかけて10人います。これは、一時的に戦力ダウンになりますが、それを乗り越えた時に、素晴らしい会社になると確信しています。」(代田)
「山口さん、心強い先輩が、たくさんいるようですね。」(塩)
「はい、私も、頑張ります。」(山口)
「最後に、経営側から、短期大学生にむけて一言メッセージをお願いします。」(塩)
「そうですね。コミュニケーションは顔と顔を向き合わせて言葉で会話すること。SNSに頼らない生活を身に付けてください。社会人になった時から「プロ意識を持つ」、という心の切り替えが必要だと思います。」(代田)
「ありがとうございました。学生たちに伝えたいと思います。今日は、お忙しいところをありがとうございました。山口さんもプロフェッショナルを目指して頑張ってください。また、今年も山口さんの後輩が、採用試験を受けます。よろしくお願いいたします。」(塩)

後日譚
片桐社長様と帰り際に、ご挨拶させていただきました。
原材料のトレーサビリティ、HACCP、ISO22000、合成保存料着色料不使用、あん製造特許と、まさに安全・安心・健康・おいしさ・楽しさを追求した会社経営を追求する企業マンでありながら、いつも温厚で柔和なお人柄を感じる方です。
胸に「社長」とマジックで記された文字を見ると「菓子つくり一筋」の心意気を感じています。「いや、みんなやっていることですよ?自分のだとわかるようにね。」とおっしゃるのですが、心がホッコリするのは私だけでしょうか?
tenkeiseika5(代表取締役社長 片桐義宣 様)
 
 
 


 
平成28年2月19日(金)綿半野原積善会 特別養護老人ホームかざこしの里勤務 相談員 籔下由理子さんをお訪ねしてきました。

飯田女子短期大学家政学科生活福祉専攻1期生の籔下(旧姓:小山)由理子さんをお訪ねしてきました。仕事とともにプライベートも充実させ、結婚、出産、子育てと、退職・復職の中で介護支援専門員の資格を取得し、現在特別養護老人ホーム『かざこしの里』で生活相談員をしています。
特別養護老人ホーム『かざこしの里』は職員数約90名。うち相談員は2名。相談員のお仕事はご家族や地域の事業所との連携をする業務です。仲村茂樹施設長さんは「相談員の仕事は施設の評価に直接かかわり、とても大切な仕事をお願いしています。」とのこと。また、籔下さんは、「今の仕事は、自分がしたいという仕事です。」と、福祉の現場で働くことは大変だけれど、大好きだと語ってくださいました。籔下さんのさわやかな人柄が印象に残りました。

インタビュー

watahan1 籔下さん

「籔下さんは、飯田女子短期大学家政学科生活福祉専攻の第一期生と伺いました。生活福祉専攻の卒業生をインタビューをするなら籔下さんを推薦しますという主任教授の言葉をいただきました。女性の介護福祉士の養成をする立場からみて、籔下さんの卒業後の歩みを、学生たちが目標としてほしいという思いを感じて参りましたので、いろいろお伺いしたいと思います。本日はよろしくお願いします。」(塩)
「そんな、特別なことをしているわけではありませんが。よろしくお願いします。」(籔下)
「また、『かざこしの里』は飯田女子短期大学の近くにあり、ご縁も多く、学生の実習をはじめ本当にいろいろとお世話になっています。ありがとうございます。実は、わたくし今回初めて中に入りまして、玄関先からずーっと驚いています。学生たちが就職したいという気持ちがよくわかります。気持ちのよい素晴らしい施設ですね。」(塩)
「ありがとうございます。」(仲村)
「おしゃれなホテルに来たような気持ちです。綿半コレクションという言葉を思い出しているのですが、やはり施設のあちこちにゆとりを感じる造形が施されているのはいいですね。玄関のお花などは職員の方がなさっているのでしょうか。」(塩)
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「はい、得意な人が生けています。事務室もカウンター越しに気楽に声掛けができるようにしたり廊下も工夫して季節ごとに飾りを変化させたりして、医療の現場とは少し違うように、落ち着いた空間を考えて整備しています。ご利用くださる高齢者の方の中には、趣味も広く、また、素晴らしい作品を作られる方もおられます。」(仲村)
「廊下にあった書などには、驚きました。前からお聞きしたいと思っていたことですが、積善会という善を積むという名前には、謂れがおありでしょうか?」(塩)
「はい、パンフレットに掲載してありますが。昭和54年に綿半の創業380周年記念事業の一環として『積善余慶』(積善の家には必ず幸福が訪れる)という中国の易経の言葉から命名して『社会福祉法人・綿半野原積善会』を設立しました。そこには、利益を追求する事業と異なり、地域貢献を行う事業として、利用者を主体とした、その人らしい生活ができる住まい(積善の家)を創ろうという意味が込められています。最初に昭和55年に山本にある軽費老人ホーム『ヴィラ緑風苑』を作りました。次に平成12年に隣にある西部ディサービスセンター『桑の実』、続いて平成17年に特別養護老人ホーム『かざこしの里』、昨年同じく『笑みの里』と、高齢者の福祉事業を拡げています。」(仲村)
「綿半様はこの地域から出発し、現在は中央で一部上場企業としてゆるぎない事業を展開している、歴史のある、地元が誇る企業様のひとつです。その綿半様が、福祉事業をこの地で展開してくださることは、地元にとっては本当に心強いですね。時代は、高齢化社会という言葉が高齢社会へと急速に移り、福祉という言葉がクローズアップしてきた時ですから。私どもも、高齢者福祉の担い手としての介護福祉士の養成が始まった時代にあわせて、平成12年に家政学科の生活福祉専攻の認可を得て、平成13年には、幼児教育学科卒業生が1年間で介護福祉士の資格を取得する専攻科福祉専攻を作った時です。教育の中でも、卒業生の受け入れ先としても本当にお世話になります。」(塩)
「こちらこそ、お世話になります」(仲村)

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「そこで、一期生の籔下さんが『かざこしの里』がスタートした当初からお世話になったとお聞きしていますが。」(塩)

「はい。私は平成15年3月に卒業、ある施設に就職し1年半お世話になった後、縁があって平成17年開設時にかざこしの里に入職しました。そして、平成19年に結婚をして翌年に出産したのですが、それが双子だったので、出産してからいったん退職したんですね。自宅で子育てをしていて、平成22年から復職し夜勤のない6時間のパートナーになって、平成25年に子どもが小学校に上がったので、正職員になりました。その間にケアマネージャーの勉強をして平成26年に合格することができましたので、平成27年から生活相談員ということで働いています。」(籔下)
「女性が働きやすい時代になったとはいいますが、ひとそれぞれですから、大変な時期を乗り越えられたのだと思います。でもこれで、ひと段落した感じで、これからは落ち着いて仕事をお続けになるおつもりですか。」(塩)
「そうですね。先のことはわかりませんが、今はこの仕事にやりがいを感じています。双子は思いもかけないことでしたから、双子だと2倍の期間育児休暇をとることができるのですけれど、子育てもきちんとしたいと思い退職を選びましたし・・・子育てはとても大変で、同居している主人の両親にとても助けていただいて子供のことも私のことも大事にしてもらっていますので、両親の介護は絶対私がみてあげたいっていう気持ちがありますから、どうなるでしょうね。先のことはその時になって考えていきたいと思います。」(籔下)
「人生は計画したようにはいきませんね。ところで、『かざこしの里』のオープニングスタッフということになりますが、それまでの職場からの転職は大変ではなかったですか。」(塩)
「特別養護老人ホームの仕事に就いた時には、学んだことと現実に違いがあり正直とまどいを感じました。あのころみんなそういう思いをしたように思います。」(籔下)
「一期生のころの福祉の現場の、いわゆる3Kといわれた時代は、まだまだ整った環境で仕事ができるところが少なかったと聞いていますね。」(塩)
「ええ、でも私のところは先輩がきっちり教えてくれる体制があって、そのことはとてもいい勉強になりました。特に半年後にヘルパーステーションの訪問介護を担当させていただくことになり、ご家庭を訪問して歩きました。そのとき、本当にこの介護の仕事が私にむいている仕事だと思いました。ただ、もう少し飯田市内に近いところでと思っていたところ、お声をかけていただいたこともあって今があるのですが、あの訪問介護の経験が、実は今の仕事の自信につながったと感じています。」(籔下)

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「今の相談員というお仕事はどんなお仕事ですか?」(塩)
「基本的には現場の介護福祉士と利用者さんを繋げる役割だと思っています。その中で利用者さんの相談に応えるという気持ちです。」(籔下)
「籔下さんの相談員という仕事は、ショートステイの20床の利用者様の対応になります。相談員の方は特に、ご家族の対応や他の事業所との連携が求められます。事業所としては20床を効率よく回転させていくことを考えますが、そのためには「安心して利用できる」とご家族の皆さまや地域の皆さまから信頼していただくことが第一になります。相談員の仕事は施設の評価に直接かかわり、お陰様で『かざこしの里』の稼働率は県下でもトップクラスです。籔下さんの手腕だと評価しています。」(仲村)
「相談に対応するといいますと、具体的にはどんな相談でしょう」(塩)
「在宅のお年寄りとお話しをすると、たとえば、入れ歯の調子が悪いけどどうしたらいいかというようなことから、特養の申し込みを誰がしてくれるのかとか、ヘルパーをお願いしたいがとか、当時はわからないことばかりだったんですけれど、一生懸命調べてお役に立ちたいと思いましたね。家で困っている人のお世話をすることが好きなんだと思いましたね。そうやっていろいろなお話しをしたので、今は聞かれたことにも応えられます。どこに尋ねればいいか考えて、間に立って伝える。連絡係のようなものです。」(籔下)

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「私も知り合いの方から、素晴らしいというお話を耳にすることがあります。ペットもつれていけたから淋しくなかったとかね。実際には、いろいろな人がいて困ることや、苦労することがあるのではないですか?」(塩)
「基本的には、何々をしていけないというような、きまりごとはないです。本人が何をしたい、してほしいということがあれば、できることはやってもらおうと思いますし、どうしたら希望をかなえてあげられるか一緒に考えます。お世話をすることが好きというか、もともとがおせっかいなんでしょうね。特養は穏やかに最後をむかえられるようにという場所ですが、このショートステイを利用しながら、在宅で最後を迎える事ができるのかを、地域のケアマネージャーさんと一緒に考える立場であると考えています。」(籔下)
「ひとりひとりニーズが異なる介護福祉サービスに対応して、困りごとや心配事に対応する福祉のあり方を、地域ぐるみで考えていくことが必要だということになりますね。籔下さんは、地域全体へ橋渡しをしていくお仕事で、これからはもっともっと頼りになる人になっていくことを期待されているのでしょうね。ところで、もともと籔下さんは介護福祉士になりたいと考えて飯田女子短期大学に入学されたのですか。」(塩)
「進学コースにいて地元での進学を考えていたところ、卒業の時に生活福祉専攻ができるというタイミングでした。同居のねたきりの祖父がいましたので、介護について学んだら、私でも家族の役に立てるかなくらいの気持ちがあったような気がします。実際には祖父に何かしてあげるということはなかったのですけれど。」(籔下)
「籔下さんの人生には、生活福祉専攻スタートや『かざこしの里』オープンといった、ご縁があって、ごく自然に選択してきたという感じですね。双子のお子さんを授かったことは驚かれたでしょうが、でも育児のあいまに資格をとり、周囲に望まれる人間になっていくのは、素晴らしいですね。」(塩)
「でも、試験は3回目で受かったんですよ。(笑)」(籔下)
「私自身、チャレンジするだけでも意味はあると思いますけど、何回でも結果を出すまでしたんだっていうことは後輩に伝えたいですね。(笑)みんなの励みになる。では、最後になりますが、施設長様に飯田女子短期大学卒業生の評価をいただきたいと思います。」(塩)
「そうですね。入居者に対して、非常にやさしいですね。大変な仕事をしていただいていますが、とにかくやさしさと“気づき”を感じます。介護という仕事に従事するための基本的な姿勢ができているからでしょうね。精神的な基礎がしっかりしているから、やさしさが自然に感じられるのでしょうね。これからもよろしくお願いします。」(仲村)
「ありがとうございます。こちらこそ今後ともどうぞよろしくお願いします。」(塩)

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後日譚
卒業後10年、こうまでベテランになっていくのかと籔下さんの生き方に魅力を感じました。人は職業人、家庭人、地域社会の一員など、様々な役割を担いながら、その役割が生涯という時間的な流れの中で変化し積み重なり、つながっていきます。人はこれらの役割の関係や価値を自ら判断し、取捨選択や創造を重ねながら「自分らしい生き方」を作り上げていく、という「キャリア」の意味するところを思わず再確認しました。
仕事がある、家族がある、子供がある、そしてそれらすべてを慈しむことで、籔下さんのパワーが倍増するのだろうと思われました。家事、子育て、職業のバランスをとりながら社会に関わり、成長している。その出発点に飯田女子短期大学での学びがあることをうれしく感じます。高齢社会では介護の問題をさけることはできないでしょう。今さらながら、本学で福祉を学ぶことは、女性が地域で生きていくことを学ぶことと等しいのではないかと思いました。優しく、そしてしなやかに生きたいものだと思います。

<文責:塩沢>

 


平成28年1月19日(火)児童養護施設慈恵園勤務 丸山恵梨子さんをお訪ねしてきました。

平成20年3月に卒業し、豊丘村にある児童養護施設慈恵園に勤務して8年目の丸山恵梨子さんです。平成27年4月から慈恵園に5つあるユニットのひとつの担当長として活躍しています。「まだまだです。毎日が反省です。」とはいいながら、「社会が、少子化になっても児童養護施設のニーズが減少することはないと言われています。」「大事な役割を担っていると思います。」と仕事への情熱を語っていただきました。研修の大切さと同時に、悩みがあっても明るく元気に過ごすことができるのは、家族の支えがあり、オンとオフを切り替える地元の友達とのリフレッシュの時間も大事にしていると、地元に育ち地元で仕事をすることのメリット、そして、丸山さんのプロ意識をみなさんにお伝えしたいと思います。

インタビュー
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「丸山さんは、飯田女子短期大学幼児教育学科福祉心理コースのご卒業です。現在の飯田女子短期大学幼児教育学科はコース分けを廃止して幼児教育学科で幼稚園教諭と保育士の資格を取得し、幼稚園や保育所、施設に就職する進路を選択するようになっています。丸山さんが、『福祉』を学び、児童養護施設で働こうと思った動機をお話していただけますか。」(塩)
「はい。私の住まいは上飯田です。ご存知と思いますが、児童養護施設『風越寮』を身近に感じていたということがあります。それから、飯田西中学校の中学時代には生徒会活動でクラスから2人選出される福祉委員会の委員でしたので、ボランティア活動をしていて、児童養護施設がますます身近な場所になっていました。そして、保育士の資格取得をめざして進学をしたわけですが、短期大学では幼稚園や保育所、施設で一通り実習をしたので、どうしようかなぁとは考える機会はありましたが、施設で働くことをいつも前提として考えていました。」(丸山)
「就職活動はどのように進めましたか?」(塩)
「はい、9月か10月ごろ決まったと思いますが、施設で働こうと考えて、学生課で慈恵園からの求人があることを知り、黒岩先生に相談しました。この地域の児童養護施設は、『風越寮』『おさひめチャイルドキャンプ』『慈恵園』です。そのうちのどこかに入りたいと思って相談しましたが、黒岩先生のアドバイスは『採用試験はそんなに簡単じゃないから、最初から内定をいただけると思わないように。』というアドバイスでした。それで、だめかもしれないけどとにかく受けてみようという気持ちで受けました。そしたら、内定をいただくことができました。」(丸山)
「とにかく、少ないチャンスをのがしてはいけないと思ったのですね。」(塩)
「はい。」(丸山)
「学生たちは、施設からの求人に対して、施設で働くというと家族が保育園をすすめるとか、そうかと思うと、保育園の保育士は私には無理なので施設にするといった、まるで施設の職員の仕事のほうが楽だとでもいうような、私にはとても気になる発言があるのですが・・・。」(塩)
「わかります。施設の職員になりたい理由には、幼稚園実習や保育実習を通して、何時になったら何をしてとか、何時になったらおわりにして次のことをさせるように指示していくということが、私にむいていないなぁと思ったこともあります。時間を気にせずに、子どもとじっくり向き合いたいと思いました。そういう意味では、実習によって児童養護施設で働きたいという気持ちが、前よりもはっきりしたということになると思います。」(丸山)
「実際に働いてみて、いかがですか。うれしかったことや、やりがいを感じることはどんな時ですか」(塩)
「そうですね。小さなことですが、子どもたちがサプライズでお誕生日会を催してくれたことといった、ささやかな出来事の楽しい日常がうれしいですね。それから、子どもたちがこんなに大きくなったと感じる時や、高校三年を終えると卒園するのですが、その卒園生が元気な姿をみせてくれた時、感慨深いものがあります。」(丸山)
「先生であり、お姉さんであり、おかあさんであるということですね。」(塩)
「といいますか・・・反省は日々です。」(丸山)
「仕事に対して、課題がたくさん見えてきたわけですね。」(塩)
「はい、ここにいる子どもたちは、家庭にめぐまれない子どもと、ひとくくりにしてはいけない、ひとりひとりがさまざまなものを抱えています。ですから、私たちの仕事は『答えの出る仕事ではない』と思うことばかりだと思います。世の中は少子化ですが私たちの仕事のニーズは決して減少するとはいえないと思います。」(丸山)
「子どもや子育てをめぐるニュースも後を絶ちませんね。」(塩)
「はい、全国ニュースに出るのはほんのわずかで、飯田下伊那でもいろいろな問題はあります。どのようにかかわるべきか考える時、私は、「一番つらいのは子ども」ということを忘れてはいけないと思うんです。親と離れて暮らすということそのものが、すでに子どもたちの心の傷になっているわけです。ですから、私たちにできることは、ここにいたということを、恥と思わないで、良かったんだなと思い出すようなところにしていきたいという気持ちだと考えるのですが・・・。」(丸山)
「自分の子どもの子育ても悩みの連続ですから、施設の職員の皆様が子どもたちにどのように接っするかは、きっと大変なことでしょうね。専門の仕事をするということは、常に研修をして学び続けなければいけないと、私自身も身を持って感じながら仕事をしていますけれど、丸山さんには教えていただける同僚や研修の機会がありますか。」(塩)
「はい。私も研修の必要を強く思います。それぞれの職員が勉強して、勉強してきたことを伝え合うことが必要だと感じています。日々、何が起こるかわからない仕事ですし、結婚や出産時に、自分の家庭や子どもに寄り添いたいと退職する人の気持ちも理解できる気がしますから、離職率が高い職種といわれているのも、残念です。でも、もっと勉強して、仕事をしていきたいという気持ちが今の私の正直な気持ちです。」(丸山)
「研修に出してくださる雰囲気はありますか?」(塩)
「児童養護に関する研修の機会はたくさんありますね。慈恵園は、行きたい人はどんどん学んでくるようにという雰囲気でとても恵まれています。うれしいです。もちろん最初の1年目は新人向けの研修になりますが、だんだん専門的な研修に参加して、いろいろなお話をお聞きし、情報交換をしたことが、現場で役立ってきました。職員は複数いますし、それぞれの職員の強みが違いますので、職員同士が話し合いながら協力していくことが必要だと感じています。それと、知識の面の私の今の課題は、児童養護に関する法律や行政や他施設の取組のことをもっと知りたいということで、もっと勉強させていただいて、後輩に伝えていきたいと思っています。連盟の研修会で意見発表をさせていただいたこともあります。」(丸山)
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「そうやって、プロフェッショナルになっていくのでしょうね。では、学生時代にもっとこんな勉強しておけばよかったなと思うことがありましたら、後輩に伝えたいことをお話ください。」(塩)
「はい、そうですね。今、特に思うことですが、職員としての対外的なかかわりがたくさんありますので、社会人のマナーを身に付けておくことができれば、もっと良かったと思います。」(丸山)
「昔は、仕事のオフは花嫁修業的な習い事がありましたから、いろいろな機会を作ることができましたけれど、今は、仕事の中で、与えられた地位についたとき、場数を踏みながら覚えていくのでしょうね。」(塩)
「ええ、この4月からは、後輩の下平さんと、ほかの短大の出身者と三人でユニットを組み、私はそのユニットの担当長なので、弱音をいっていられないと思っています。」(丸山)
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「ところで、先ほどから丸山さんの様子を拝見していますと、とてもにこやかで、頼もしさを感じているのですが、こういうお仕事だと、常に自分の気持ちを切り替えて、リフレッシュすることが必要ではないかと思うのですが・・・」(塩)
「はい、職場の方との飲み会で、仕事上のお話をすることも大事だと感じています。また、オンとオフを切り替えて、リフレッシュすることは本当にすごく大事だと思います。子どもと寄り添う私たちが、元気でいなければいけないですね。」(丸山)
「地元の短期大学で学び、地元に就職したことが、今の仕事を継続する上で、とてもよかったということになりますか。」(塩)
「はい。でも私はそういう意味ではずっと家から通っていて、一人暮らしの経験がないからわからないのですが、いろいろなことがあっても、家に帰れば迎えてくれる家族がいるということで、家族との時間が私を支えてくれる、私の気持ちも安定していることができたかもしれないと思いますね。家族に感謝ですね。」(丸山)
「休日は短期大学時代のお友達と?」(塩)
「というより、中学・高等学校の頃の地元のお友達とカラオケや飲みに行きます。仕事の話はできませんから、騒ぐだけですが、おもいっきり楽しみます。」(丸山)
「短期大学の時には何かやっていましたか?」(塩)
「はい、ダンス部です。でも、短期大学の友達はけっこうそれぞれの地域に帰っているので、地元で気楽に連絡が取れるのは、やはり地元の幼ななじみです。」(丸山)
「今日はお忙しいところをありがとうございました。丸山さんが充実したお仕事をしていることが、よくわかりました。これからのご活躍を期待しています。」(塩)

後日譚
児童養護施設「慈恵園」は昭和22年に戦災孤児入所施設として飯田市伊賀良大瀬木にある増泉寺で5名の孤児を預かったことから出発しました。昭和23年「慈恵園」認可、昭和25年下伊那社会福祉会として認可され現在に至っています。昭和24年4月には県下初の下伊那こども家庭支援センター「こっこ」を開設し、児童虐待や不登校、発達障がい児童に対するケアなど、専門的援助が必要な子どもや家庭に対し、24時間365日相談電話を受け付け、早期に支援しています。また、地域子育て支援事業「学習ふれあいコーナー」「出前子育て講座」「絵本の読み聞かせ」などの活動をしています。
学生のみなさんにおなじみかと思いますが、毎年飯田女子短期大学の学生ボランティアが活躍する、豊丘村小学生を対象とした3泊4日の「通学合宿」は、親元を離れて生活する貴重な体験の機会になっています。
伊那谷を一望する素晴らしいロケーションの慈恵園です。
ボランティアや実習に参加して、児童養護施設に働くことについてみなさんも考えてみませんか。

<文責:塩沢>

 


平成27年12月9日(水)飯田信用金庫勤務 森口麻美さんをお訪ねしてきました。

平成24年4月から飯田信用金庫松尾支店に1年間勤務し、その後天龍支店に異動して1年と9か月の森口麻美さんをお訪ねしてきました。ことわざに「石の上にも三年」とありますが、金融機関勤務歴3年をむかえようとしている森口麻美さんです。その森口さんがお話して下さった職場の魅力は、意外にもカウンター越しに出会う地域のみなさまとのふれあいでした。そして、共に働く仲間との人間関係を大切にし、いきいきと生きる力を身に付けていることを、会話の都度に見せてくださるあふれんばかりの笑顔から感じました。また、総務部人事課の柾さんが会話に加わって下さり、飯田信用金庫のことを教えていただきました。みなさんに伝えたいと思います。

インタビュー
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「よろしくお願いします。さて、森口さんの学生時代の就職戦線は現在と違い、就職活動解禁が12月、選考開始が3月からでした。一般企業の採用試験は専門職や公務員試験より早く、短期大学生にとっては入学した年の秋には進路決定になります。どうしても、短期大学の学生は就職活動のスタートが遅くなりがちです。森口さんは、食物栄養専攻から金融機関へ就職をしたわけですが、進路選択のあたりからお話していただけますか。」(塩)
「はい、私はもともと栄養教諭になりたいと思って飯田女子短期大学に入学しました。でも入学してそんなに遅くならないうちに、実際に長野県の栄養教諭になるのは大変だと先生からお聞きしました。それではどうしようかと考え、当時マクドナルドでアルバイトをした体験から、お客様と関わる仕事がしたいという気持ちがあったため、それならば一般企業を考えようと早くから切り替えて就職活動を始めました。なかでも、飯田信用金庫は地域の皆様に密着しているという話をお聞きして興味がわき、手始めに地元で名前の通った信金さん(笑)という感じですが、無事内定をいただくことができました。」(森口)
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「栄養教諭は時代のニーズに合わせてできた新しい教員免許でしたね。飯田女子短期大学が栄養教諭養成を始めたのは平成18年からでした。長野県の教員採用試験は他県に比べて時間がかかり、今年が第一回目の栄養教諭の募集です。後輩が何人かチャレンジしましたが、実際にはとても狭き門でしたね。」(塩)
「そうですか。」(森口)
「森口さんの頃は、学校栄養職員の長野県職員の採用試験を受けた学校給食センターの経験者が、必要単位を取得して栄養教諭の配置につくということでしたね。それにしても、人と関わる仕事がしたいということと金融機関選択というのはどう結びついたのでしょう?」(塩)
「はい。金融機関はお客様の大切なお金を取り扱い、『計算』『堅い』『まじめ』といった仕事のイメージですけれど、仕事をきちんとする前提はどんな仕事も同じだと思います。ですから、何より職場の雰囲気が大事だと思います。というわけで採用試験を受ける前に会社訪問に参加させていただいて、職員のみなさまがとても楽しく、気さくに話をしているところを見て、いい職場だなと感じ、いいなぁ。職員になりたいなと素直に思って、採用試験を受けたいと思いました。」(森口)
「就職後もその印象は・・・?」(塩)
「ええ、変わりません。とてもいい職場で、仕事はオンもオフも楽しいです。」(森口)
「金庫内の人間関係がとてもいい雰囲気だということは誰もが感じていると思いますよ。飯田信用金庫の採用方針は、ズバリ人物重視です。大学・短大・学部・学科を問いません。金融関係だから、経済や経営を学んだ人が採用に有利というわけでなく、哲学や心理学を学んだ人や森口さんのように栄養学を学んだ人もいて、いろいろなことを勉強した人が集まるって面白いと思いますよ。」(柾)
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「人物重視というと、具体的にはどういう人物を採用したいとお考えでしょう。」(塩)
「そうですね、人と関わる仕事になりますから、健康で、元気がよくて、人と接することが好きで、といろいろ考えられますが一番は、地元飯田・下伊那地域を良くしたいという思いのある人を採用する方針です。飯田信用金庫は地域密着を合言葉に、地元のみなさまとのフェイスtoフェイスを大切にしていますから。それに、地元出身者の採用が多く、うち男性は4年制大学が中心ですが、女性は毎年短期大学卒業生も採用しています。飯田女子短期大学からももっと受けて欲しいと思っていますが、年々希望者が少なくなってきているように思います。」(柾)
「そうですね、本学の学生は、専門職に就きたいという気持ちの学生が多いものですから、金融の仕事について声をかけましてもあまり反応がないことは、私が就職を担当するようになって驚いたことのひとつですね。」(塩)
「金融の仕事のイメージが、なかなかご理解いただけないかもしれませんね。」(柾)
「金融のイメージには、よみ・かき・そろばんの中で、そろばんができないとだめかなというイメージですが。森口さんは何か資格を持っていたのですか。」(塩)
「私は何の資格も持っていませんが採用試験を受けさせていただきました。」(森口)
「就職してから、勉強が必要になりますか?」(塩)
「はい、絶対こうしなくてはいけないという決まりごとはないです。でも実際にお客様が納得していただけるように説明をきちんとしたいと思うと、自然に何をしたらよいか考えることになります。職場で窓口業務のための資格もありますし、ファイナンシャルプランナー(FP)の資格も取りました。今では、目標とする先輩もいますので後をついていけたらいいなという気持ちでいます。」(森口)
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「社内に仕事の上で目指したいと思う先輩がいるのはいいですね。人間関係がよいという意味がよくわかります。大学生のコミュニケーション力不足とか、ゆとり世代の云々という話題がありますが、飯田信用金庫さんが職場の人間関係について取り組んでいることがありますか。」(塩)
「そうですね。福利厚生の一環で若手職員による『青年部』の活動に対して金庫が助成をしてくれています。『青年部』では新入職員の歓迎会をはじめ春はお花見、夏はバーベキューなど楽しいイベントが色々とあり、若手職員の絆を深める良い機会になっています」(柾)
「そうですか。では森口さんは、仕事以外にもいろいろ楽しいことがあるのですね。時には旅行などもあるのですか。」(塩)
「ええ、3泊4日で沖縄へ・・・同期のみんなで行ってきました!!」(森口)
「柾さんは?」(塩)
「いろいろ行きましたよ!!海外にも何度か行きました。」(柾)
「福利厚生の活動では支店単位の旅行を毎年実施しています。休日は土日祭日に加えて、リフレッシュ休暇制度もあり、当金庫は有給休暇の消化率も高いです。同期で5日くらいの旅行に行ったり好きな趣味を楽しんだり、しっかりメリハリをつけることでまた気持ち新たに仕事に取り組むことが出来ていると思いますよ。」(柾)
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「ますます、いい職場だなぁと感じますね。では、今の森口さんが感じている仕事の魅力をお伺いします。」(塩)
「はい、私はお客様から『しんきんさん』ではなくて『森口さん』と名前を呼ばれたり声をかけていただくことが、とてもうれしいですね。地元の皆さまに信頼されていると感じ、何かお役にたちたいと思います。お天気のお話をしたり、地元の行事のお話をしたり・・・。ですから1年たって転勤の話があった時には、もうびっくりして、自分が思っていた以上に悲しくて、涙がでました。でも異動した先でも、同じように話しかけていただけます。」(森口)
「異動によって、森口ファンが増えていきますね。」(塩)
「1回目の異動は、みんな特別な思いがありますよね。」(柾)
「私も地元の行事で信金さんに手伝ってもらうというお話をお聞きします。おみこしの担ぎ手とか、祭りとか」(塩)
「はい、お客様と一緒になって楽しく過ごしています。」(柾)
「まさか、お野菜が届くなんてことは・・・昔のことですよね。」(塩)
「いえ、今も地域の皆さんから、たくさんできたからとおすそわけをいただくこともあります。うれしいです。」(森口)
「最後に後輩にひとことお願いします。」(塩)
「はい、女性が働きやすい職場だと思います。専門職を目指しているみなさんも、もう少し別の世界も考えて、職場見学をするといろいろ感じると思います。就職先は、自分の思い込みで決めない方がいいと思います。」(森口)
「ありがとうございました。」(塩)

後日譚
「金融」「銀行」というだけで、『ムイテナイカモ発言』がありますが、本学が養成している職業は、どれも人の気持ちに寄り添うことが求められるものばかりです。是非、森口さんのお話を参考にしてください。
飯田信用金庫は、北は松川町から長野県の最南端までの地域に24店舗の展開をしています。業績は全国でもトップクラス。地域シェアNo.1です。女性管理職も誕生し、これからますます注目の事業所です。
金融を通じて、飯田下伊那の豊かな自然に恵まれた風土を慈しみ、地域の経済発展に寄与する飯田信用金庫。森口さんの今後のご活躍を期待します。

<文責:塩沢>

 


平成27年11月6日(金)飯田自動車学校教習指導員 原芙美奈さんと宮下理佳子さんをお訪ねしてきました。

お二人は一緒に入職して3年目です。最初は事務職で採用になり、教習指導員の資格を取得し、現在教習指導員として活躍しています。
今年、学生課へ「二人とも期待に応えて頑張ってくれる。大変うれしい。これからも飯田女子短期大学の学生を採用したい。」と小倉校長先生がお越しくださいました。
事務職を希望する女子学生はたくさんいると思いますが、指導員に育てたいと思って採用しました。現代はほとんどの人が運転免許証を取得する時代ですから、男性も女性も若い人から年配の方まで相手の仕事になります。指導員が男性ばっかりの必要はないと感じています。中には女性がよいと希望する人もおります。大変だったと思いますが二人とも試験に挑戦してくれ、指導員になってくれ、素晴らしいです。

インタビュー

iidajidousha1  原芙美奈さん(右)と宮下理佳子さん(左)

校長先生から教習指導員の国家資格試験にパスしたと伺いました。先生のお話では、二人ともホテルに缶詰で、ホームシックになるくらい大変な初めての経験をしたということでしたので、そのあたりのところからお聞きしたいと思います。教習指導員の試験ってどんな試験だったのですか?(塩)
はい、長野県公安委員会の教習指導員資格です。長野県の指定教習所協会で1週間講義をうけて、勉強をしました。試験は道路交通法規、教習所関係法令の2科目の筆記試験のほかに、小論文、面接や技能試験があります。すべての科目に1回での合格率は低いといわれています。私たちも「技能試験」を落として、もう1度3か月後に受けて合格しました。(原・宮下)
ふたりとも、一緒に落ちてしまったとは、ひとりだけでなくてよかったですね。実技試験もあるのですね。(塩)
はい、運転免許を取得するための実地試験と違って、技術だけでなく、自動車にいかに美しく乗るかということも大切です。運転が好きじゃないと、という感じですね。(原)
それは、むずかしいでしょうね。で、受かってから、受かる前と何が変わりましたか?(塩)
受かった時は、すごくうれしかったですね。(宮下)
私もほっとしました。仕事は、いろいろな人と接するようになって、楽しくなりました。(原)
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よかったですね。ところで、二人とも保健養護コース卒業でしたね。原さんは養護教諭を希望、宮下さんは医療事務職を希望していたと思います。縁があって飯田自動車学校に就職したわけですが、就職しようと思ったきっかけを教えてください。(塩)
私は、専攻科に進学しようか就職しようかと迷いながら11月にあったシルクプラザの就職説明会に参加したところ、校長先生に出会いました。(原)
くどかれちゃった?(塩)
はい、「就職は出会い」だと思います。実際とても面倒見の良い校長先生です。あの時、声をかけていただけたことも大変うれしかったです。(原)
目に浮かぶようです。小倉校長先生とお話すると、私も、なんといいますか人生が楽しく感じるというか、元気になって、ポジティブになれますね。宮下さんは?(塩)
私は、就職どうしようかという時に、学生課でお話をいただいて受けました。(宮下)
そうでしたね。で、どうですか、目指していた道と少しちがった点について、何か後輩に伝えていただけますか。(塩)
はい、私は養護教諭を目指した勉強で培ったものがいかせると感じています。高校生の悩みの相談や、体調をくずして具合の悪い生徒の対応もあります。それから、授業の流れを勉強してきたので、法規の講義をするときにどうしたら覚えてもらうことができるか、教え方はそれぞれの人に任されているので、工夫をしています。(原)

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私は、原さんと違って、事務職を希望していたので、人を教えるということが私にあっている仕事なのかまだ、時々迷うことがあります。学生に戻りたいと思うことや、医療事務の仕事に就いていたらと思うことがありますね。(宮下)
教習所はお休みの時に通いたい人が多いので暮れから3月末まで、休みがなかなかとれない。覚悟が必要です。朝早い時もあるし、夜遅い時もある。(原・宮下)
後輩に一言というなら「地道にコツコツ努力が大切」と(宮下)
私は、社会人になることは学生とは違う。責任感も必要。でも、自由がふえたと思います。自分で決めることができ、自分の力で生きているというか、より充実していく自分を感じています。(原)
校長先生から、『ジャンヌダルクになれ』と言われています。教習指導員という仕事の職場環境は、女性にとってまだまだ厳しいことがあると思います。けれど、女性が働きやすい職場になるように先頭にたって切り開いていくように。そういう時代だということだと思います。また、来年は後輩を採用するというお話を聞いて、とても嬉しいです。(原・宮下)
後輩のことを、よろしくお願いしますね。私も学生達の就職支援をしながら、先輩たちの頑張りが、後輩の求人に繋がっていると強く感じています。どんな仕事にも苦労があると思いますが、今日はお話を聞きして、私が思った以上に頑張ったお二人の3年間を感じました。校長先生の期待に応えた太鼓判のお二人だと、続く後輩も、みなさんの後輩でよかったなと思うことでしょう。これからも活躍してください。ありがとうございました。(塩)

iidajidousha4  原さんと宮下さんの間に校長先生がいます。

後日譚
飯田自動車学校は、昭和28年に地域の力で作られた自動車学校です。
当時は、トラックの運転免許取得のために遠くまで行かないといけなかった時代でした。そこで、地元の代議士の力添えがあり、鼎地区との財団法人として出発しています。
平成14年からは地域の安全教育に貢献しようと、無償の活動を地域でしています。飯田女子短期大学も、毎年、寮生のための自転車の修理や空気の点検作業をしてくださったり、学園祭のお花をいただいて学園祭の演出に力添えをいただいています。
今度は、地元に育ち、地元で学んだ学生が、働き、地元を明るく元気にしてくださることを願っていてくれます。
ジャンヌダルクたりえるか。期待しています。

<文責:塩沢>

 


平成27年10月6日(火)シルクホテル中田製絲株式会社のパティシエ宇井望さんと岡庭彩希さんをお訪ねしてきました。

平成27年4月21日新装OPENしたシルクホテル総支配人勝又さんをお訪ねしてお話を伺ったところ、ホテルの各部門では本学の諸先輩たちがとっても活躍している職場であることがわかりました。しかも、なんと、パティシエ、スィーツの部門は本学の卒業生がすべて担当しているのだそうです!
そこで早速、宇井望さんと岡庭彩希さんをお訪ねしました。
宇井さんはこの道10年のベテラン、その下で働く岡庭さんもすでに5年目を経て、たのもしいお二人でした。
お二人の仕事場は、新装オープンしたレストラン「フルフル」の奥にありました。調理部門は和・洋・中華の3部門が並び、一日の戦闘が始まる前、調理器具や機材がピカピカに輝いていました。そして一番奥にあるお二人のスィーツの部屋からは、すでに焼き菓子作りがはじまって、甘くおいしそうな香に満ちていました。

インタビュー
「ご案内します。こちらへどうぞ。」(岡庭)
「新装オープンして、働く場所がよくなると、やっぱりうれしいですよね。」(塩)
「はい。こちらが和・洋・中華の調理の場所です。通路沿いのカウンターは、出来上がった料理を、置く場所ですが、お出しする前に冷めないように工夫されているカウンターです。」(岡庭)

silkhotel1  (厨房をご案内してくださった岡庭さん)

「ここが、パティシエの私たちの場所です。宇井さんと担当しています。」(岡庭)
「シルクホテルのお料理のスイーツやケーキの部門を全部二人だけで作っていると聞いたのですが、結婚式があった時や、大きなイベントがある時は大変でしょう。」(塩)
「はい、毎日のことは慣れている仕事ですし、時には忙しい時もありますが、二人でやっています。」(岡庭)

silkhotel2  (宇井さんと岡庭さん)

「ウエディングケーキ作りは大変でしょう、失敗談とか・・・」
「失敗するっていうことは、基本的にないです。」(宇井)
「そうなんだ!ウエディングケーキってとっても大きいものでしょう。こういう型にしたいと思ってもうまくいかなくて、時間もなくて、思ったようにいかないけど仕方ないということ、私はよくあるのですけれど、そこがプロなのですかね。」(塩)
「ケーキの場合は、式の打ち合わせの時にご希望をお聞きして、デザインを決めていきます。たとえば、サッカーが好きな人だと、サッカーボールをイメージする形にするとかですね。」「これまで作ったケーキのファイルを参考にしたりして、お客様のご希望をお聞きしながら決めます。だいたい計画から完成までに一週間くらいの時間があります。」「高さを出すケーキの場合にも、スポンジを積み上げて、だんだんに作っていくので、思うようにならないということはないですよ。」「この前ウエディングケーキの上に乗せたお人形はかわいくできたので、ちょっとここにおいてみました。」(宇井・岡庭)
「スイーツで、一番大事なことは、計量です。お菓子作りの基本です。」(宇井)

silkhotel3  (慣れた手つきで、話しながらも仕事を進める宇井さん)
silkhotel4  (ウエディングケーキ用の手作り作品)
silkhotel5  (写真集)

「お二人とも、食物栄養専攻を卒業して栄養士の資格を取得し、パティシエになったわけですが、学生時代にどんなきっかけでシルクホテルの求人に出会ったのですか。」(塩)
「私は、製菓の勉強をしたいと思って、卒業後には県内の調理師学校に進みたいと考えていたのですが、進学もお金がかかるなぁと家で話していたとこえろ、シルクホテルに入職すると、製菓も一から教えてもらえると知人が連絡をくれました。そこでお話をお聞きして、応募をすることにしました。」(宇井)
「製菓をやってみたいという学生は、今もいますね。高校生にもね。」(塩)
「私は、はじめは栄養士として就職することを考えてみたのですが、そっちじゃないなという気持ちがあったので、決めたということです。」(岡庭)
「たしかに、ちょっとちがうと迷う学生や、計算じゃなくて作ることをしたいという学生、やっぱりいますね。で、お二人とも、短大で学んだこととパティシエになったことについては、すこし遠回りをしたと思うのでしょうか?」(塩)
「いえ、むしろ、栄養学を学んだことは今の仕事に役立っています。スィーツをお出しする時には、カロリー計算が必ず求められるので、その点は全然困らなかったです。もし、栄養学を習っていなかったら、もっと苦労したと思います。」(宇井)
「私は、仕事をしながら調理師の免許も取得したのですが、勉強の内容は栄養士になるための勉強がほとんどで、ずいぶん役立ちました。今、洋食のほうも手伝わせてもらいながら勉強しようかと思っています。」(岡庭)
「お二人とも今のお仕事を通して自分でやりたかったことが実現できているということで、大変うれしいですね。しかも、そのうえ飯田女子短期大学で栄養士の勉強をしたことが自分の夢に繋がる第一歩だったということですね。」(塩)
「そうです。」(宇井・岡庭)
「大変うれしいです。これからはお二人のことをふまえて飯田女子短期大学家政学科食物栄養専攻への進学を勧めるときには、地元の高校生に篤く語れます。こんな素敵な職場が飯田にある!君たちを待っている!とね。ところで入職後、技術は誰に教えてもらったのですか。」(塩)
「最初はシェフに教えてもらいながら、仕事を覚えました。やっと今はひとりでもできるといえるかなという感じです。」(岡庭)
「私も先輩に教えてもらって、ここまできました。今は、任されている分、いいものを作るように、飯田の街の中のおいしいケーキがあると、休みの日に教えてもらうことなどして、工夫をしたり、腕を磨くこともしています。」(宇井)
「スイーツの世界は、いえ、専門職の世界は日々勉強でしょうね。いつの日か、どうぞ、自分のための素敵なウエディングケーキを作って下さいね。本日はありがとうございました。」(塩)

silkhotel6  (岡庭さんと米山さん)

さて、フロントまで来ますと、びっくりポンなことに、フロント担当の米山恵子さんが「私も飯田女子短期大学の卒業生です。」とご挨拶をしてくださいました。
米山さんは卒業後18年目の大ベテランです。
「本当は高校卒業の時にシルクホテルに就職したかったのですが、高校の担任の先生から短期大学を卒業してからでも遅くはないと、短大進学を勧められて入学しました。家政学科で養護教諭の資格を取得しましたけれど、私ははじめから就職はシルクホテルと思っていた。」(米山)
「当時、養護教諭希望学生が多かった時代ですね。」(塩)
「はい。私はここがあこがれの職場でした。採用していただきうれしかったですね。その後職場結婚をして、今は子どもを育てながらですが、そのまま継続して働くことができています。」(米山)
「ホテルのフロントは宿泊客もいらっしゃいますから、シフトを組んでも家庭生活との両立は大変ではないですか?」(塩)
「いえ、女性も長く働く時代になりましたが、この職場も働きやすいように、特に夫婦が同じ職場なので、細やかに配慮していただくことができ感謝しています。よい職場だと感謝しています。」(米山)

後日譚
どのような人材を募集しているかについて総支配人の勝又さんに伺ったお話を紹介します。
答えは「この会社に入って何をしたいというものを持っている人を採用したい」ということです。
飯田にお住まいの方はどなたもご存知のように、シルクホテルはビジネスでご利用になる方もいれば、飯田市周辺で行われる講演会やイベントの来賓が大勢宿泊するホテルです。また、結婚式やご家庭や事業所等の特別な日のイベント会場にも利用されています。だからこそ、シルクホテルならどんな仕事でもよいと考える人ではなく、シルクホテルでこんなことをしたいという人を採用して、どんどん力をつけていってもらえるように考えていきたいというお話でした。
地方都市で一流をめざすホテルだからこそ、ひとりひとりの社員を大切にしていく。そして、社員が会社の期待に沿うことでホテルの品格が保たれていくという思いが伝わって参りました。また、厨房の仕事は、まさに調理の技術の研鑽の場であり、修行中はつらいこともたくさんあるように思いますが、それを乗り切りプロ集団の一員になってほしいと期待を感じました。新装オープンしたレストラン「フルフル」は、とてもおしゃれな空間を提供しています。宣伝をもっとしないのですかとお聞きしたところ、ホテルのレストランの評判は、ご利用のお客様が口コミで広がるものですから、平常の一日一日、一回一回を大切にしていくだけですと伺いました。
「日々のひとつひとつの仕事を大切に丁寧にしていくこと」慣れてくるとついつい忘れてしまいそうになります。私も、気持ちを込めた仕事をしたいと思います。

[文責 塩沢]

 


平成27年9月7日(月)平谷村職員 清水悠衣さんを訪問しました。

平成26年4月平谷村役場に就職し、2年目を迎えた清水悠衣さんを訪問しました。

hiraya1  (平谷村合同庁舎)
 hiratamura2  (清水悠衣さん)

学生時代の清水さんの就職活動は、学園祭が終わり、保育士求人の就職活動終盤と思われるころのスタートでした。もう後がない、タイムリミットが来た。このあたりで決めたい!とだれもが思っていた時に、平谷村から求人が届きました。「今回の求人は保育士ではないですが、保育園の職員をフォローしてもらう役場の職員という位置づけで保育士資格を持った行政職を1名採用したい」という村の事情を含めて「そういう希望で応募してくれる学生はいるでしょうか」という打診がありました。清水さんがずーっと待っていた地域からの求人でした。しかし、思いのほか大勢の学生が希望したことを覚えています。

インタビュー

「清水さんが就職して一年半になりますね。行政の仕事にはいろいろあると思いますが、どんな仕事をしているのですか」(塩)
「役場の窓口入ってすぐのところに席があります。村の人が訪れ、みなさんに声をかけていただいています。毎日いろいろな仕事がありますが、周りの方に教えていただきながら、去年よりは少しできるようになったかなというところです。今は、月に2,3回は頼まれて保育園に行く機会があります。」(清水)
「いろいろな仕事をこなしながら仕事に慣れてきたという時期ですね。一年間を振り返って、楽しかった仕事はなんでしょうか。」(塩)
「そうですね、保育園で子どもたちと過ごすことができる時間は、やはり楽しいですね。」(清水)
「それは、保育士をしたい、ということになりますか?」(塩)
「いえ、そうではなくて。保育士になる勉強をしたので、子どもたちと関わると、かわいいなぁと思うし、それは楽しい時間になりますよね。」(清水)
「悠衣ちゃんは、保育士として採用されたわけではないので、保育士の会議や研修への参加もできないうえに、急に単発で保育園の手伝いの仕事をお願いすることになって申し訳ないと思っています。でも、いつも気持ちよく受けてくれるのでうれしく思っています。この間も保育園でピアノを弾いてほしいという話をうけてくれ伴奏をしてくれましたね。村の保育士から応援を頼まれたのですよ。」(課長)

hiratamura3  (塚田総務課長さんと清水さん)

「上手にできましたか?」(塩)
「はい、私はもともとピアノが好きなので、そういうお声をかけていただいて、とてもうれしかったです。それで、すぐ、飯田女子短期大学におじゃまして、宮下先生にご指導いただきました。ここから飯田は、そんなに遠いわけではないですし、仕事の相談で短大に行くことができるのも楽しいことでした。」(清水)
「それは、よかったですね。地元の短大を卒業して地元に就職した強みですね。では、保育の仕事以外について、楽しかったことやこの仕事に就いてよかったと思うことは何ですか?」(塩)
「はい、村の夏祭りの魚のつかみ取りのイベントの企画やスタッフをしたことは楽しい思い出です。村民全員参加のごみ拾いの仕事も楽しかったです。」(清水)
「学生時代に学生会執行委員長として活躍した清水さんらしいですね。」(塩)
「うふふっ、それに、秋には村の平谷歌舞伎の発表の舞台にもたちました。お侍役です。」(清水)
「えっ!学生時代からしていたのですか?」(塩)
「いいえ、仕事をはじめてから、仲間に入れてもらい、練習をしています。」(清水)
「平谷村の住民になってきましたね。では、清水さんが感じている平谷村の良いところはどこでしょう。」(塩)
「はい、そうですね、やはり一番は自然です。紅葉が美しいです。芽吹きも素晴らしいです。それから、もともと私は田舎が好きですけれど、人です。仕事はみんながフォローして下さることです。」(清水)
「若い人がこうした村に就職すると大変な思いもしているとは思っています。まず、『センショ』っていう言葉があるように、小さな村なのでみんなの目が注がれていることがありますね。それに、村には遊ぶ場所もないですから・・・。一昔前は、村の職員はお嫁さん候補でもありましたが、今は、そういうわけでもありませんし。もちろん、みんながかわいがっていますが、おじさんですしね。しかし、悠衣ちゃんは、ストレスがあっても解消する方法をもっているようですから」(課長)
「学生時代のモンスター軍団とは、いまもよく連絡をとって話をしています。」(清水)
「そうでしたね、モンスターといわれるほどの大変元気なクラスでしたね。」(塩)
「でも、私もこの仕事をして、ずいぶん変わったと思います。」(清水)
「どんなふうに変わったのですか?」(塩)
「学生時代は、自分のことだけを考えて、自分が楽しいと思うことをやっていた様な気がするのですが、この仕事は、村の人と近くて、親身になって支えてくださるし、困ったときには助けてくださる、ですから、すごく自然に、村の人のために頑張ろうという気持ちになります。それに家族のことも、大事に考えるようになったと思います。」
「成長しているわけですね」(塩)
「はい。今の仕事は、やりがい感じています。先ほど保育士の話がありましたけれど、今のように、時々保育園に行って行事のお手伝いをしながら、行政の仕事に携わることはいやじゃない、というより、今のバランスが私にはちょうど良いと感じています。この先、結婚しても、このまま働き続けたいと考えています。」(塩)
「おっ!今の言葉、しっかり書いてハンコもらっておこうかな(笑)。」(課長)
「いいお仕事に巡り合って、本当によかったですね。では、最後の質問ですが、今就職活動をしている後輩たちに、一言メッセージをお願いします。」(塩)
「はい。・・・『あきらめないでほしい』です。」(清水)
「その通りですね。先輩の言葉は後輩にきっと響くと思います。今日は、本当にありがとうございました。」(塩)

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後日譚

昨年の春、就職1年目の清水さんをお訪ねしたとき、平谷村の職員のみなさまに本当にかわいがってもらっていることを感じました。若くて、かわいい女の子を採用することができたこと、その結果、役場の窓口が華やぎ、役場を訪れる村民のみなさんが喜んでいること、そして、職員のみんなも張り切って仕事をしていると評価をいただきました。
若い女性であるということは、職場が明るくなり、活気を増す、という賛辞です。それゆえに、甘んじてはいけないと、同じ女性として、その後の清水悠衣さんの様子が気にかかりながら、今回インタビューに参りました。
そして、学生時代から活動的だった清水さんらしく、平谷村に溶け込み、村の活動を楽しみ、村の自然の豊かさを愛でながら、生活や仕事にやりがいを感じ、輝いている姿に接して、本当にうれしく感じました。
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[文責 塩沢]

平谷村URL:http://www.vill.hiraya.nagano.jp


平成27年9月7日(月)売木村保育士 後澤洋子さんを訪問しました。

平成27年4月に売木村の保育士になった卒業生の後澤洋子さんにインタビューに行きました。
売木村は、長野県の最南端に位置し、県内で2番目に人口が少なく、峠に囲まれた村です。その村の中心地にある保育園舎には15名の園児と保育士3名がいます。園庭には大きな子どもたちが竹馬の練習を、園舎では小さな子どもが工作に夢中になっていました。
後澤さんは高森町の出身です。子どもと関わる仕事がしたい、大きな保育園の保育士には今はちょっぴり自信がない、でも自分がそうであったように自然の中でのびのびと子どもの保育の仕事をしたい、田舎暮らしは気にならないと思う、といって就職を決めた後澤さんが、どうしているかなぁと楽しみに参りました。

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 (売木村園舎)
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インタビュー
「ズバリ、後澤さんの売木村ってどんな村ですか?」(塩)
「山が・・・わかっていたつもりですけれど、山が、スゴイかな。」(後)
「いきなりどんな村かっていっても、まだ、春と夏しかわからないよね。秋や冬も体験しないと・・・それに山もこれまでとはまた違うかもね・・・」(塩)
「そうです。だから、まだ語れないです。」(後)
「では、売木村の保育士の仕事はどうですか。」(塩)
「小さな園ですから、何でもしなくちゃならないということだけはわかりました。みんなでするというより、自分がするというような感じです。」(後)
「大きな組織だから、誰かがやってくれるということは少ないと思いますよ。でも、みんなでできるということはあるかもしれないですね。」(塩)
「大きなところは、私には・・・と思っていましたけど。」(後)
「そうでしたね。とっても迷っている様子で、時折、求人票をながめていましたから、声をかけたことを覚えています。売木村の求人をみて『はい、考えてみます。』の一言で、次に『行ってみました。応募します』とシンプルに直球が帰ってきたことはうれしかったですね。実際に働いてみて、手応えを感じているといいなぁと思っていますが・・・」(塩)
「うふふ。これからですね。」(後)
「でも、さっきこどもたちがヨウコ先生ヨウコ先生っていっているのをみて、頼もしく感じたんですけれど、子どもたちはどうですか?」(塩)
「子どもたちは、すごく明るくて、元気です。このまま、いえ、もっともっと、明るくて、元気よく成長していってほしいという気持ちでいっぱいです。」(後)
「お住まいは、近くですか?」(塩)
「すぐ近くの職員住宅です。」(後)

そこへ、もう一人の保育士、塚田恵梨子さんが登場

sssssss  (塚田さんと後藤さん)

「あの、私も女子短の卒業です。」(塚)
「えっ。」(塩)
「私は、穂高出身です。女子短卒業の時に先生に勧められて、平谷村の保育士になったのですが、もう20年以上になるかな。平谷村役場の夫と結婚したので、仕事をやめて、今売木村の保育士になって隣村から通っています。学生時代は庄司先生のゼミでした。」(塚)
と一気に話していただき、後澤さんのおっとりとした性格と対照的な先輩の登場から、私たちは、すっかり安心しました。
「後澤さん、頼もしい先輩がいてよかったね。」(塩)
「はい。」(後)
「いえ、私は親子ほど年が違います。後澤さんは主任保育士のお子さんと年が近いくらいです。村には数少ない同年代の人と、仲良くなると思いますよ。」(塚)
「塚田さん、後輩をよろしくお願いします。後澤さんも、これからですね。今は仕事に夢中のようですけれど、いろんな活動に参加して、売木村か語れる住民になることを期待しています。今日はありがとうございました。」(塩)実はインタビューの前に売木村役場の課長さんに、「後澤さん、がんばってくれていますよー」というお話をいただいき、とても暖かく迎え入れてくださっていることを知りました。保育士としては最初からきちんとクラスを受け持ってもらっている責任ある立場にあることや、保育士として他町村で開かれる会議に出席してもらっていること、村の職員として村役場にも顔を出していることなどお聞きしました。村になじみ、村の職員として活躍してほしいという売木村の期待が伝わりました。売木村ではこれから収穫の秋に向けて、恒例のイベントが繰り広げられる様子です。

wwwwwwwwwww  (住民課課長 松村さん)

後日譚
売木村のように、退職人事があって初めて求人活動を開始するパターンの求人は学内の内定状況も進んだ11月・12月ごろになります。売木村清水村長様が短大にお越しくださって、「この時期に保育士を目指して、売木村へ来てくれる学生がいますか?何しろ崖っぷちの村ですから・・」この「崖っぷち」という言葉が深く印象残っていました。過疎地だというアピールでもなく限界集落の廃村寸前といった困惑でもないエネルギーを感じて、私は、改めて売木村を知りたいと考えていました。
売木村を訪問した日、村の直売所に寄り、レジの横にあった『小さな村のウルトラマラソン~重見高好の挑戦~』購入し、ウルトラマラソンを知り、印象に残ったところを紹介したいと思います。
「レースは、最初から順位にこだわってはいけない。大切なのは、自分が思う通りのレースを作っていけるかどうか。(略)直感をたよりに、その場をどう捌いていけるか。途中、色々な信号が出てくるはずだ。気温の上昇や体調の変化。給水が取れないという危険信号もある。そんなとき、一秒でも早く判断し、最善の行動をとらなければならない。(p115)」日常の練習も、レース中も、常に自分との闘い、自分への挑戦。崖っぷちを生きている。でも、これはマラソンだけではなく、専門職に就く、いえ、すべての職業人に、すべての人の生き方に通用するのではないでしょうか。
売木村は今、600人の村民が「再生」を目標にひとりひとりが精いっぱい生きており、精いっぱい生きるチームの一員を求めている。挑戦の村である。できるできないということではなく、一生懸命生きることを求めて、暮らしを支え合う豊かさがある村である。
後澤さん、頑張れ!

[文責 塩沢]


天龍村保育所勤務の花輪さん(平成27年3月卒業)

平成27年3月卒業。4月より天龍村の保育所に勤務している花輪さんを6月29日にお尋ねしました。ちょうど園児の昼食の時間になり、「いただきます」の歌が元気よく始まったところでした。

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○保育士 花輪さん ◇天龍村役場住民課長 小林さん
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○花輪さんは学生時代から天龍村大好き人間でしたね。天龍村の魅力をお話ください。(塩)
☆私は子どものころ、ここで村中が家族のような、村中に知らない人はいないという感覚で育ちました。年頃のお子さんのいない家庭の方も保育所や学校の行事に集まり参加するので、子どもにとっては村の人はみんな知っている人です。そういう環境で育ちましたから、この暮らしが一番好きなんだと思います。それから、短大時代には車を運転して自宅とキャンパスとを往復した道中の自然の景色は四季を感じて本当にみごとです。学生時代にクラスの友人を呼んで楽しんでもらいました。良いところだと私は思っています。ですから、卒業の時に天龍村の保育士の募集があったことは、本当にラッキーでした。(花)

○そうですね。最後の最後に話があって、花輪さんの就職活動は大変でしたけど、よかったですね。村部の募集は欠員がでないと補充されないので通常の公務員試験日程では対応できないお話がありますね。花輪さんは、はじめから天龍村以外の保育所の募集は全然考えていなかったことを覚えています。(塩)
◇もう少し早く求人票を出すことができるとよいですが、花輪さんを迎えることができて本当に良かったです。天龍村大好きという新人を採用できたことは天龍村もこれ以上のことはないです。これからも天龍村のことを学生の皆さんに知ってもらいたいですね。(小)

○地域の短期大学ということで連携することができるといいですね。
さて、保育士1年目の花輪さん、失敗したこと、保育士を目指している後輩に伝えたいことなどお願いします。(塩)
☆保育実習を乗り切ることができたのは、親しくしてくれた先輩方のはげましの声かけでした。やるしかないと思うことでのりきれたと思います。今でも同じ保育士になった仲間とラインで連絡をしています。園の大小や常勤非常勤にかかわらず、みんな保育のことを語りあっています。今朝もどんなピアノ曲を選んだとか教え合って出勤しました。どうやったら自信がもてるかというより、卒業しても同じ仕事をしている学生時代の仲間がいるから、みんなで助け合っていけるから、保育士をやってみればいいんだと思います。今私は年少組5人の担当です。失敗したことは、聞いていたことなのですが、早々に体調が悪くなってお休みをとり、ご迷惑をかけたことです。子どもからなんでももらっちゃうらしいです。(花)
◇小さな村の保育所ですが、どのポストも何かあれば代替えの人がいますから、安心して働くことができます。高齢化と少子化の村ですが、特に「子どもを愛し、お年寄りを敬う」という村長の方針で、施設も、贅沢という声もある中で2年前に新設しました。現在14名の園児がいますが、たとえ、園児が1人になっても保育を続けるという気概をもっています。(小)

○素敵な、素晴らしい園舎ですね。花輪さんの夢がかないましたね。これからは、村の皆さんの期待に応えることができるよう一人前の保育士を目指して、頑張ってください。ありがとうございました。(塩)

住民課長の小林様にご案内いただきました。天龍村では野鳥「ブッポウソウ」のヒナが巣立つ7月中旬までの時期、全国から集まる写真愛好家が庁舎の屋上に住むヒナに餌を運ぶ姿に向けてカメラのファインダーを構えていました。この時期の村の風物詩になっています。
また、天龍村は、平岡ダムで栄えた村です。昭和36年に120名定員で旧平岡中学校校舎を利用して保育所認可されました。素敵な新園舎に、子育てに力を入れる行政の姿を感じます。現在、村民の半分が65歳以上となり、村民の健康、予防活動の課題にも力を注ぎ、村民が一体となって暮らしを作り上げている様子がうかがえました。保健師も人数を増やしたい、飯田女子短期大学の学生にもこの土地に親しんでもらいたいと語っていただきました。
天竜川下流の県境には秘境南信州を感じるに十分な厳かなやさしさを漂わせた風景があり、初夏の美しい天龍村は輝いて見えました。

[文責 塩沢]